節分と豆まきのやり方、恵方巻について調べてみた。驚きの事実を発見!

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1.節分について

もうすぐ節分ですね。そうです、あの、「鬼は外、福は内」って言いながら豆まきする日本の風習です。

60爺の家でも、子供たちと一緒に毎年、行っていました。そして、豆まきの終わった後に、齢の数だけ豆を食べるのが日常でした。

しかし、昨年は、子供たちが大きくなった(言い訳)こともあり、豆まきはやらなかったです。

今年も、節分が近づいてきましたので、節分について調べてみましょう。

調べる先は、いつもWikipediaです。

節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・
立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味して
いる。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

いきなり驚きの事実です。普通、節分というと、2月の頭に行われる行事と思っていましたが、実は、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前日を指しているんですね。

ですから、節分は年に4回あるのです。皆さん知らなかったでしょ。

2.豆まきのやり方

豆まきのやり方は、一番最初にも書きましたが、 窓を開けて、「鬼は外、福は内」と言いながら煎り大豆を巻いていきます。

これを各部屋ごとに実施していきます。

江戸時代以降は、立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多いそうです。

昔は、「季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。」とあります。

さらに、豆まきの由来ですが、「邪気を追い払うために、古くから豆撒きの行事が執り行われている。宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われる。」と出ています。

宇多天皇(うだ(ここ濁点があります)てんのう)は、第59代天皇で平安朝時代の人です。ですから、豆まきは、平安時代から始まったのですね。

また、豆まきの掛け声って、通常は、「鬼は外、福は内」ですよね。しかし、地域や神社では、これが異なる場合があるそうでうで、「福は内、鬼も内」や「鬼は内」としている所があります。

面白いのは、大名九鬼家の領地では、藩主(名字に鬼が入っている)に敬意を表して「鬼は内」としていたり、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所があるそうです。

神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称が一般的ということです。

テレビでは、節分になると、お相撲さんが神社、寺院に設けられた舞台から豆まきをする映像が良く流されていますよね。

3.恵方巻について

最後に、最近、急速に広まってきた「恵方巻」についてです。

これは、その年の「恵方」(吉方)を向いて太巻きを黙って食べるところから名付けられたものです。このページに、吉方が出ています。

節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる巻寿司のこと。商都大阪 発祥の風習といわれているが、1980年代まで大阪市内でも知名度は無く、その起 源の定説は未だ存在していない。

えー、これも驚きの事実です。関西の風習だと聞いていましたが、起源がわからないんですね。

日本人の誰かが考えて、寿司を売るために、こっそり流したら、これが全国にバーンと広まっちゃったということですね。さすが商人根性!素晴らしいです。

数年前から、恵方巻きが出てきて、節分近くになると、海鮮恵方巻きだとか、XX恵方巻きとか豪華な奴がいっぱい出ていますよね。

うちの長女ちゃんは、おいしいものに目がないので、こういう情報には敏感で、どこで何恵方巻があるから食べるなどといって、家族を巻き込みます。

昨年は、豆まきだけでなく、恵方巻も買わなかったので、ガックリ来ていました。その反動で、今年の恵方巻、すごいことになる可能性が高いです。

恵方巻は無言で食するわけですが、あまりにでかいとつらいので、60爺は、ハーフサイズ程度のそこそこの大きさのものを食したいと考えています。

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