おとりさまとは?11月の酉の日に行われる酉の市について

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1.おとりさま

皆様、「おとりさま」ってご存知ですか?

お酉様とか御酉様って漢字で書いたりもするようですね。これは、例年11月の酉の日に行われる祭ことです。酉の市(とりのいち)、酉の祭(とりのまち)、大酉祭(おおとりまつり)とも呼ばれるようです。

遠い遠い昔、60爺が子供の頃、両親に連れられて行った覚えがあります。たしか、屋台がたくさん出ていて、ハッカ味のパイプを買ってもらった記憶があります。

60爺の家では、ダルマを購入して神棚に揚げていました。このダルマは、年々サイズを大きくしていくのが慣わしでした。

ダルマも大きくなると、髭が生えたりしますよね。で、ある程度まで大きくなると、翌年は一番小さなサイズに戻したりしていました。経済的なこともあったのではと思います。

近年、ニュースを見ると、熊手を購入して飾るのが一般的なようです。60爺の家では、上述したように縁起ダルマを購入しており、熊手は見たことがなかったですね。

今回は、この「おとりさま」について調べてみます。

2.起源、由緒について

なぜ、酉の市は11月にやるのでしょうか?その由来を調べてみると、神道と仏教の双方から、それぞれ異なる解説がされています。

(1) 神道

神道では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源としています。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするとしています。

(2) 仏教

仏教では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源としています。

1265年(文永2年)11月の酉の日、日蓮が、上総国鷲巣の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、 国家平穏を祈ったところ、鷲妙見大菩薩が鷲の背に乗り現れ出たことに発しています。

(3) しかして、その実態は?

実際の祭りは、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれています。

鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ、鶏を神とも祀った社は、綾瀬川に面しているため水運による人、物の集合に好適であったため、酉の日に立つ市(いち)には江戸市中からの参詣者も次第に多くなりました。

この市(いち)が賭博関係で禁止となることで衰微し、酉の市の盛況ぶりは浅草の鷲大明神へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るんですって。

また、浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であったようです。

3.三の酉

酉の市は、酉の日に立つ市(いち)ですので12日毎に行われます。

ですので、最初の市を一の酉、二番目の市を二の酉と言います。日取り(一の酉が6日より前)によっては、三の酉が行われるわけです。

そういうわけで、三の酉は毎年行われるものではないため、特別視され、三の酉が立つ年は火事が多いなんて話が出てきました。

しかし、この話は、どうやら俗説のようです。

下谷長国寺から独立した大鷲神社は、吉原遊廓のすぐそばであったことから大いににぎわい、お酉さまの参詣の帰りに、男性が吉原に寄ることが多かったのです。

留守をあずかる女性としては、何とかして亭主などを家に引き戻すために、三の酉のあるときは「火事が多い」という俗説を作ったと言われています。

4.酉の市の和菓子

60爺の子供の頃から、近所の和菓子屋では、酉の日には「きんつば」と「きりざんしょ」が売られます。60爺贔屓の「玉屋」では、酉の市の日のみ販売されるお菓子です。

(1) きんつば

あんこのたっぷり詰まった、暖かいきんつばは、寒い日にはうってつけの和菓子です。

水でこねた小麦粉で餡あんを包み、鉄板の上で鍔の形や長方形に焼いたもの。

60爺は、酉の市=きんつばだったんですが、これは横須賀だけの話みたいですね。きんつばと酉の市でググっても、ほとんど横須賀しか出てこないんです。

玉屋のきんつばは、丸い形(刀の鍔をかたどったもの)です。温かいうちに食べると、うまさも格別です。

(2) きりざんしょ

「きりざんしょ」は、和菓子の一種で、正月に食される餅菓子である。・・(中略)・・また、酉の市で売られる縁起物でもある。

これは、全国でも酉の市の縁起物として出てきますね。さっぱりとしておいしい和菓子です。お腹にもたまりませんよ。

糝粉(しんこ、うるち米を洗って乾かし、ひいて粉にしたもの)に、砂糖と山椒を炒った粉をまぜて練った生地を蒸し、臼で搗(つ)いたのち、拍子木形(細長い直方体)に切りそろえたものです。

玉屋のきりざんしょは、紅白と黒の三色です。

参照 Wiki

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