アントニウスとクレオパトラの関係は?恋愛と打算が交錯した運命を解説
アントニウスとクレオパトラは、古代世界でもっとも有名な男女のひと組と言えるでしょう。
二人は恋人として知られていますが、その関係は単なる恋愛ではありませんでした。
アントニウスには東方支配を安定させたい思惑があり、クレオパトラには王位と息子を守る必要がありました。
つまり二人の関係は、恋愛と政治的な打算が複雑に絡み合ったものだったのです。
この記事では、アントニウスとクレオパトラの出会いから最期までを追いながら、その関係の実態を分かりやすく解説します。
アントニウスとクレオパトラの関係


結論から言うと、アントニウスとクレオパトラの関係は、恋愛と政治的な打算が複雑に絡み合ったものでした。
アントニウスには、エジプトの富や軍事力を活用し、東方支配を安定させたい思惑がありました。
一方のクレオパトラには、自身の王位と息子カエサリオンの地位を守る必要がありました。
そのため、二人の関係は単なる恋愛関係ではなく、互いの利益が一致したことで始まった面があります。
しかし、その後は約10年にわたり関係が続き、子どもももうけています。
こうした経緯を見ると、政治的な利害だけではなく、個人的な愛情もあったと考えるのが自然でしょう。
それでは、二人の出会いから最後までを詳しく見ていきます。
アントニウスとクレオパトラの出会い

アントニウスはクレオパトラをキリキアのタルソスに召喚します。
エジプトは、アントニウスの敵であったカッシウスを支援していたからです。
このローマの実力者との出会いは、クレオパトラにとって重要でした。
クレオパトラは、ここでローマの有力者を味方につけないと、自身の王位を維持できなくなる危険性があったのです。
そのため、この会談では、クレオパトラは、豪華な演出やエジプトの富を前面に押し出し、アントニウスに強い印象を与えました。
アントニウスも、エジプトを安定させるには、クレオパトラとの協力関係が重要だと考えたようです。
こうして二人は急速に親密な関係になっていきます。
紀元前41~40年にかけての冬、アントニウスはエジプトでクレオパトラと過ごしました。
これにより、両者の思惑は共に実現します。
アントニウスは、エジプトの資源を利用できるようになり、クレオパトラは、自身と息子の統治が再確認されたのです。
二人は急速に親密な関係になりますが、その背景には互いの政治的な思惑もありました。
クレオパトラは美人だったのかという議論は永遠のテーマのようです。
アントニウスの打算とは
アントニウスはパルティア遠征を計画しており、そのためにはエジプトを安定させ、資金や物資の支援を得ることが重要だったと考えられています。
そのため、クレオパトラと協力関係を築き、エジプトを安定させることが重要だったと考えられています。
パルティア遠征のための再編作業の一環として、クレオパトラに、キプロス、クレタ、キュレナイカのエジプトに近い部分、キリキアとシリアの一部分が与えられました。
キリキアは木材が豊富で、エジプトの造船に役立ち、アントニウスは、エジプトの資源を利用できるようになりました。
クレオパトラの打算とは
紀元前44年3月15日ローマでカエサルが暗殺されます。
クレオパトラは、子供までもうけて得た最大の守護者を失くします。
このため、自身の王権を守るため、クレオパトラには新たな守護者が必要だったのです。
そこへ、ローマの実力者であるアントニウスから、召喚がきたため、アントニウスとの関係を築くことで、自身と息子の統治が再確認されたのです。
二人は本当に愛し合っていたのか
クレオパトラはアントニウスの子である男女の双子を産んでいます。
男の子はアレクサンドロス、女の子はクレオパトラと名づけられます。
紀元前35年には、アントニウスは、アレクサンドリアないしアンティオキアで、1年の大半をクレオパトラと共に過ごしました。
また、アントニウスはアレクサンドリアでクレオパトラを正式にエジプトの女王とする宣言を行い、カエサリオンに「諸王の王」という称号を与えました。
また、カエサリオンはユリウス・カエサルの正統な息子であると公認しています。
クレオパトラとの間に生まれた3人の子どもたちにも王族の称号を与え、アレクサンドロス・ヘリオスには領土と王国を約束しました。
この内容を見る限り、アントニウスがクレオパトラを特別な存在と考えていたことはうかがえます。
しかし、こうしたクレオパトラへの厚遇は、政敵オクタウィアヌスに利用されます。
オクタウィアヌスは、クレオパトラを「アントニウスを惑わせた危険な女性」と喧伝し、アントニウスはローマでの支持を徐々に失っていきました。
もちろん、二人の本心を知ることはできません。
しかし、政治的な利害関係だけでは説明できない結び付きがあったことも事実でしょう。
だからこそ、二人の関係は現在でも歴史上有数の恋愛物語として語り継がれているのかもしれません。
アントニウスとクレオパトラの最後
紀元前31年9月2日アクティウムの海戦に敗れた二人は、アレクサンドリアへ撤退しました。
この敗北によってアントニウスの威信は大きく低下し、多くの支持者が離れていきました。
紀元前30年8月1日アントニウスはクレオパトラが自殺したとの報を聞き、自らも自刃します。
アントニウスの死を聞いても、クレオパトラは、オクタウィアヌスに自らの富を見せつけることで権力維持の可能性を模索していたとも言われています。
しかし、オクタウィアヌスには、その気が全くありませんでした。
そのため、アントニウスの死から約10日後にクレオパトラも自殺します。
クレオパトラはアントニウスと並べて、彼女が作ったマウソレウム(亡くなった指導者のために構築される大きく印象的な墓)に入れられました。
まとめ
アントニウスとクレオパトラの関係は、単なる恋愛関係ではありませんでした。
アントニウスにはエジプトの富や東方支配を安定させたい思惑があり、クレオパトラには王位と息子の地位を守りたい事情がありました。
そのため、二人の関係は恋愛と政治的な打算が複雑に絡み合ったものだったと言えるでしょう。
しかし、長年にわたり行動を共にし、子どもももうけていることから、打算だけでは説明できない感情もあったのかもしれません。
最終的に二人はオクタウィアヌスとの戦いに敗れて命を落としますが、その関係は現在でも歴史上有数の愛と権力の物語として語り継がれています。
※思えば、歴史雑学の記事も増えてきました。








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