ペリーが来航した場所は?地元民である60爺の語るその県と市は

今回は、久しぶりというか、なかなかない歴史のお話です。

ペリーという名前をご存知ですか。割とありふれた名前ですが、幕末に黒船でやってきたといえば特定できますね。

このペリーが黒船で対抗した場所ってご存知ですか。

60爺

私の地元です。

この記事では、ペリーが来航した場所はどこなのか?具体的に現在の県と市について地元民である60爺が語ります。

是非、ご覧くださいませ。

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ペリー来航場所は?

1853年(嘉永6年)、アメリカ合衆国の軍人マシュー・ペリーは、4隻の軍艦を率いて日本にやってきました。

この時の様子が「太平の眠りをさます上喜撰、たつた四杯で夜も寝られず」と狂歌で詠まれたほど、日本では衝撃的な出来事でした。

ペリー来航場所は?

上述したように、ペリーは1853年(嘉永6年6月3日)4隻の軍艦を率いて、江戸湾の入口にあたる浦賀沖に現れました。

そして、幕府は、浦賀の隣にある久里浜 (くりはま)に臨時の応接所を作ってアメリカ人を上陸させて迎え入れ、アメリカ大統領の親書を受け取りました。

浦賀及び久里浜は、現在の神奈川県横須賀市にあります。

横須賀市は、神奈川県の三浦半島の付け根にある市ですね。

ペリーが来航した「浦賀」と「久里浜」を地図上で示しておきます。

浦賀・久里浜は三浦半島の東側にあり、浦賀水道に面しています。

なお、ペリーが上陸した久里浜には、日本の近代の幕開けを象徴する史実を記念したペリー公園があります。

1901年に建てられたペリー上陸記念碑があるだけの「横須賀がっかり名所」だったんですが、1987年(昭和62年)、横須賀市の市制80周年を記念してペリー記念館が建てられているそうです。

60爺

地元民なのに、今知りましたよ!

1Fは黒船来航を再現したジオラマ模型の展示ホール、2Fはペリー上陸にまつわる貴重な資料を展示するスペースだそうですが、どんなものかなア?


ペリー来航(黒船来航)とは?

ペリーは、来航した際、日本に開国を要求してきたんですよ。

上述したように、久里浜でアメリカ大統領の親書を受け取った日本は、アメリカ側の圧力に屈して翌1854年、再来したペリーを通じて「日米和親条約」を結びました。

これにより、徳川家光の時代から続いた「鎖国状態」は終わりを告げたわけです。

そして、日本は明治維新に向けて激動の「幕末」の動乱の時代に入ることとなります。

ペリー来航に関する雑学

ペリー来航に関する雑学をあれこれ述べておきます。

太平の眠りをさます上喜撰

上述した「太平の眠りをさます上喜撰、たつた四杯で夜も寝られず」という狂歌について、少し、述べておきましょう。

「上喜撰」は、上等な宇治茶のブランド名です。また「杯」は、舟を数える単位ですね。

ここから、『上喜撰というお茶をたった4杯飲んだだけで』と『蒸気船が4はい(=隻)来ただけで』をかけた歌なんです。

即ち、たった4隻の黒船に、幕府をはじめ日本中が大騒ぎになっている状況を、上等のお茶を飲んで眠れなくなったと詠んでいるわけです。

これ、単に黒船(即ち外国船)が来たから人々が驚き恐れたのではなく、それが、蒸気船(風もないのに自在に動ける)だったからというのが大きな原因だと思われます。

坂本龍馬がいた?

60爺

司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」で、坂本龍馬が黒船を見に浦賀まで走ったというエピソードを思い出しました。

確かに、この時期、龍馬は江戸にいたようです。三月十七日、十九歳の坂本龍馬は土佐を出立して江戸に向かっています。

龍馬の江戸入りの目的は剣術修行で、龍馬は京橋桶町にあった北辰一刀流の千葉定吉道場に入門しています。

そして、間もなく、ペリー来航という異変が起こるんです。土佐藩は幕府から品川海岸の警備を命じられ、龍馬も臨時御用の名目で動員されています。

ですので、小説の話だけでなく、龍馬はこの時、実際に黒船を目撃し衝撃を受けたと思われます。

黒船ミシシッピ号

アメリカが日本に開国を求めた理由

アメリカが、なぜ、日本に開国を求めたのでしょうか?

その背景として、当時、アメリカは対中国貿易の拡大を図るため、西海岸から太平洋を経由して中国に行く航路を開拓していました。

また、当時、機械の潤滑油や照明用の燃料として鯨油が使われており、北太平洋での捕鯨が盛んになり、捕鯨船の寄港地も求められていたんですよ。

そこで、補給基地及び寄港地としての日本の重要性が大きくなっていたんですね。

60爺

確かに最初の条約では通商を求めるものではないですね。

ところで、ペリーが1853年に来航した時の航路は、1852年11月24日アメリカ東海岸を出たんですが、とんでもない大航海だったんですなあ。

大西洋を渡り、マデイラ島、セントヘレナ島を経て、南アフリカのケープタウン、インド洋のモーリシャス、セイロンを通り、マラッカ海峡からシンガポール、マカオ・香港、そして、上海へと到達しています。

最後に

日本開国の基になったペリーが来航した場所はどこなのかを、地元民である60爺が語りました。

そうなんです。ペリーが来航した場所は浦賀、上陸した場所は久里浜、即ち、これらは共に、60爺の地元である神奈川県横須賀市にある街なんですね。

60爺

浦賀も久里浜も自宅から1時間県内です。もっと近いかな…。

横須賀市の地図と、ペリーが来航した浦賀と久里浜を地図で示しておきました。まあ、今では典型的な地方都市ですよ。

その他、ペリー来航に関わる雑学をあれこれ述べさせていただきました。

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この記事を書いた人

60爺

60路を越え、RaspberryPi と出会い、その関係でブログ開設(2017/2~)となりました。始めてみると、コツコツやるのが性に合ってしまい、漢字の記事から家の補修・将棋・windows10関係・別名・言い方などジャンルを拡大して今に至ってます。まだまだ、元気なので新たな話題を見つけて皆様に提供できればと思っています。

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Posted by 60爺